鹿児島 開聞岳 2002.01.03 |
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昼ごはん | 夕ごはん |
八幡IC−鹿児島IC−226号ー国民宿舎かいもん荘(宿泊) |
実家 |
とんこつらーめん |
かいもん荘にて |
かいもん荘ー山麓公園ー開聞岳ー知覧ー指宿かんぽの宿 |
かいもん荘にて | ビール 燻製チーズ、さつま揚げ 防災スティック コーンパン |
指宿かんぽの宿 |
かんぽの宿ー鹿児島IC−新門司IC−新門司港 |
指宿かんぽの宿 |
カレーライス (古賀SA) |
ごはんと漬物 (フェリー食堂) |
今年の正月は妻の実家の九州で過ごすことにした。30日の18:30に神戸港から出港するフェリーに車を積み込んで出発。出発前に空席情報をWebで調べてたまたま2等の寝台が空いていたのでラッキーだった。晩飯はフェリーの食堂でこの一年の労を互いにねぎらい乾杯!ちょっと
食いすぎてさっそく胃もたれする。 12月31日 朝、新門司に到着し、暗い中、北九州に向かう。九州なのにとっても寒い。今日は一日ぼけーっとしてすごすつもりであったが、実家の大掃除がまだとのことだったのでガラス拭きを志願して、甥っ子も強制的に掃除に参加させる。(しかし 途中で逃げられた)夕食後、さて紅白でも見てまったりすごそうと思ったら、ナウシカ両親の友人から一本の電話が。なんとナウシカ両親のメールがちまたを騒がせているウィルスに感染しているとのこと。さっそく助っ人として呼ばれ ウィルス駆除と諸所の対策をしおわったのが23時50分!まさに2001年は公私ともに激動の一年であった。京都の平安神宮で「 凶」を引いて以来ろくなことがなかったが、これで厄落とし〜♪ 1月1日 晩に近所の神社にお参りにいく。4歳の甥っ子は夜になぜおまいりにいくのか、なぜ新年を祝うのか理解できず質問責めにあった。昼前に車で 宗像大社に行く。大変混んでいる。おまけに雨まで降ってきた!家族全員でお参りをし、安全祈願をする。祈願中正座をしてたがなんと足の裏が「こむらがえり」状態になり苦痛に悶絶する。おれもオッサンかな〜。宗像から帰宅後、明日の予定をみんなで検討し、 鹿児島遠征を決定する。
1月2日 10時過ぎに車2台で家を出る。目指すは鹿児島、南の果てだ。九州縦貫道は正月のせいかやはり混雑している。しかも 雪が降ってきた。それも吹雪である。鳥栖ICを越えると若干渋滞は緩和された。それにしても鹿児島に近づくにつれて窓の汚れが気になる。しばらくして火山灰が混じっていることに気づいた。途中のSAで とんこつラーメンを食べる。たしかにこちらではらーめんといえばとんこつなんだなと実感。鹿児島ICを過ぎるとそのまま指宿スカイラインに合流できる。しかししばらく進むと前のほうから車がどんどん引き返してくる。はて?と思ったらなんと チェーン規制でじいさん係員が車を追い返している。おい、金かえせよ・・・。表示でてへんやんけとおもわずつぶやく。ここから下道を進むが指宿スカイラインを通る予定の車がすべて流れてくるのでこちらも渋滞。迷いながらも18:00頃、国民宿舎かいもん荘に到着。
かいもん荘の目の前に町営の温泉とプールがある。こちらの無料券をもらったので食事前にこちらに入る。湯煙でよくみえなかったがたいしたことないかんじであった。夕食は豪華てんこもり。全部残さず食べたら腹いっぱいになってしまった。夜は月がでていて明日の天気に期待してNHKのテレビを見た後、床についた。 1月3日 6時におきる。お目当てはかいもん荘の風呂だ。もうすでにおじさん連中がたくさん来ている。露天のほうは海風が冷たいせいかあまり人がこない。目を凝らすと右斜め方向に開聞岳がどどーんと見える。おおー!!これは今日は登れるのはないかと期待する。かいもん荘の人に登山口までの行き方を聞く。今回はナウシカ両親の車にカーナビがついているので安心安心とおもいきや、まだ新車で使い方がよく分からないらしく、ナビがあさっての方向を指示し、なんどか道を間違えてしまう。うーん、こんなことってあるのね。なんとかふもとの公園までたどりつき、8時頃、駐車場を出発した。
ここでハプニング発生!なんと4歳の甥の太郎皇太子が「僕も登る!」と言い出す。まじかよ〜(汗)。甥っこのお世話は子供慣れしてるナウシカ母に任せて、私とナウシカ、ナウシカおやじの3人で先に登る。のぼりはじめは深い森の中の掘割状にえぐれた道を進む。急登はなく、ゆるやかに登っていくかんじだ。ところどころに視界が開ける場所がある。登山道は山腹を回りこむようになっているので最初に泊まっていたかいもん荘や長崎鼻の海岸線が見えてくる。携帯電話で後続の皇太子殿下と連絡をとると2合目で挫折すると思ったのに我々が7合目のとき、すでに5合目まで来ていた。おそるべし。どうやら前日鹿児島に連れ出す際に「山登りしたらチョコレートあげるよ」と言ったのを覚えていたようである。
8合目あたりから枕崎方面から吹く風がきつくなり、ヤッケを着込む。ううっ、寒い!このあたりから次第に雪がたくさん積もってきて9合目から先はさながら中部の低山並の積雪である。ほんまに鹿児島に来てるんやろか〜と何度も思う。枕崎方面の海岸線が見えてくると頂上も近い。最後の急登を登るとそこは山頂である。ばっちり雪がついている。
山頂で記念撮影をしたあと、ナウシカ父のザックから缶ビールが登場。私はあまり飲めないので半分ほど飲んであとは父上がグビグビ飲む。アテはたくさん持ってきた。鹿児島のコンビニで見つけたさつまあげバーと父上の友達特製の燻製チーズ、Muusさんからもらった防災用スティック、チーズかまぼこなどなど。やっぱ山頂では 何を食ってもおいしいですねえ〜。
山頂では携帯も通じた。ナウシカ母に連絡すると七合目付近だと言う。12時40分頃にを後にして下山を開始。下からは登山者がどんどん登ってくる。雪が滑りやすいので九合目あたりまでは緊張しながら歩く。9合目を過ぎると下から太郎の声が聞こえてくる。「まじ?」と耳を疑う。甥っ子太郎は雪に足跡をつけるのに夢中の様子で、遊びながらここまでふらふらと来た(つれてこられた)ようだ。ここまで来たからじゃ9合目までつれてくか、とまた来た道を引き返す。足元はどろどろだが、あまり皇太子殿下は気にしてないようだ。9合目より上はずっと雪なのでここまでとし下山にかかる。しかし幼児にはやはり下山はきつい。結局抱っこしたり、おんぶしたりしながらゆっくり下る。
7合目を過ぎると雪はなくなるのでスピードが上がる。最後はナウシカ母が太郎をおんぶして下山する。太郎は途中で寝ようとするので「寝て手を離したら置いてくよ」と脅すとさすがにしっかり服をつかんでいたようだ。3時頃に駐車場に到着。この時間から北九州に帰るのはきついので指宿で泊まることにし、観光協会に電話してかんぽの宿の連絡先を聞く。電話するとすでに部屋は満員だが、空いている小さい宴会場でよければ泊めてくれるとのことだったので宿泊をお願いする。これで本日の宿は決まり!ここから知覧までは1時間ほどなので疲れた体にむちを打って 知覧の特攻平和記念館と武家屋敷に向かう。
特攻記念館は予想に反して人でいっぱいだった。若者の遺書におもわず涙する。平和な時代に感謝。武家屋敷はここから2キロほど離れたところにある。100円を駐車場に払い、武家屋敷を歩く。庭と石垣は立派だが、中は普通の民家のようだ。説明書きも少なく半分ほどみた時点で日が暮れてきたので切り上げて指宿に向かう。かんぽの宿はきれいな宿だ。宴会場と聞いていた部屋も団体客が泊まるような大部屋のような感じで 快適であった。ちなみに部屋は錦江の間だった。 1月4日 時間的に砂蒸し風呂によることはできないので次回のお楽しみとし、朝食後、指宿スカイラインを経由して新門司に向かう。鹿児島SAで桜島とお別れをしたあと、九州道を激走する。古賀SAでカレーライスを食べたあと、両親と分かれ、新門司ICへ。
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